ホントの三国志を考える試み。(正史重視)

三国志正史と史実に近い書を主軸に武将を見つめる試み

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2017-01-01から1年間の記事一覧

三国志13 韓遂討伐戦1次

皇甫嵩が罷免されると、同じく戦果をあげられなかった 董卓はなぜか破虜将軍に昇格したが いまだ成果を上げることはできていなかった。 そのため、董卓は張温の指揮下に置かれることとなった。 出征に際し、張温には執金吾「袁滂」が副将としてつけられ、 盪…

三国志12 涼州反乱

◆184年 11月 張角の軍勢が完全に鎮圧されたころ、 涼州では羌族と盗賊が反乱を起こし、 さらに枹罕の宋建・王国が漢に従属していた 北宮伯玉・李文侯を将に立てて反逆した。 しかし、宋建・王国は金城郡までくると、 金城従事韓約と帰順について話をしたいと…

三国志11 論功褒賞(黄巾の乱)と謀反のささやき

黄巾の乱が平定されると諸将には次々と恩賞が与えられていたが、 荊州刺史の徐璆は 昔、董太后より姉の子である 南陽太守張忠を特別扱いしろとの命を 国益に反することはできないと拒絶し 張忠とその息のかかったものの不正を摘発していたため 宦官と結託し…

三国志10 黄巾の乱(都・宮殿内)

黄巾の乱が始まると宮殿では 張鈞が霊帝に対し、 中常侍に任命された12名の宦官たちが 十常侍という派閥を形成し、 それぞれが列侯となるだけにとどまらず、 一族を各地の地方官に任命し 私腹を肥やしていることが 争乱の元凶である と上奏し、この十常侍を…

三国志9 劉備(若)

◆175年 黄巾の乱の9年前、いとこの劉 徳然とともに後漢の名将 盧 植に師事した15歳の男がいた。 彼の名は、劉備・玄徳。(玄徳は字名) 劉備は盧 植に学問を学ぶだけでなく 乗馬・狩猟・音楽を趣味としこれに勤しんだ。 学友である公孫瓚は物事の説明が上手…

三国志8 黄巾の乱(最後の戦い)

◆184年10月 冀州討伐を命ぜられた皇甫嵩であったが、 冀州の官軍は敗走により士気は落ち込んでおり 張角・張梁の軍勢に苦戦を強いられていた。 しかし、事態は急変する。 乱開始より病気がちであった敵の筆頭 張角が病死したのである。 張角の軍勢は張梁が引…

三国志7 黄巾の乱(豫州・南陽黄巾討伐戦)

◆184年6月 盧植が連行されるころ波才を討った皇甫嵩・朱儁らは 西華へと進撃、汝南黄巾を集めた彭脱を討ち、 その勢いのまま陳郡(淮陽県)でも黄巾を蹴散らした。 すると、豫州刺史となった王允が 荀爽・孔融らを引き連れて黄巾の別動隊を討ち 豫州に迫った…

三国志6 黄巾の乱(盧 植vs張角)

◆184年 4~5月 護烏桓中郎将の宗員を副官とした盧 植は、 諸郡の兵をまとめあげ張角と決戦に臨んだ。 張角は兵が多かったとはいえ雑軍な上、宗教指導者兼医師。 対する盧 植は古今の兵学に通じる後漢の名将で 九江蛮討伐、会南夷の反乱鎮圧と実戦経験も豊か…

三国志5 黄巾の乱(討伐戦潁川)

◆184年4月 朱儁は同じ揚州出身である孫堅に招聘の使者を出して、 潁川黄巾の討伐隊の先陣として出陣した。 開戦すると数で劣る官軍は徐々に押し込まれ、やがて敗走。 勢いそのままに追撃され、皇甫嵩ともども 長社に逃げんだものの包囲される事態となった。 …

三国志4 黄巾の乱(官軍の大将)

◆184年3月 霊帝は何進を呼び大将軍に任命し張角討伐を命令した。 しかし、武帝の時代までの大将軍といえば戦上手であったが、 後漢では外戚(皇帝の母の親族または妃の親族)でかつ 政治権力を持つものがなるような職になっており、 また、政務高官であった…

三国志3 黄巾の乱(蜂起)

◆計画発覚 荊州・揚州で兵を集めていた馬元義は首尾よく洛陽に潜入し 宦官の一部から約束を取り付けた。 しかし、部下が密告に走ったうえ、 密告した相手が帝直属の宦官であった。 霊帝は直ちに何進・三公・司隸を呼び 反乱予定者をあぶりださせた。 内通者…

三国志2 黄巾の乱(序章)

◆頂角が教団を形成した当時 後漢は姜族の侵攻にさらされ治安が不十分であっただけでなく、 貴族や富豪の一部が農地までも支配していた。 農民は土地を借りて農耕したり、奴隷となったり、 故郷を出なければならなくなっていた。 不安を抱く官民の多くは、 「…

三国志1 于吉

後漢の時代に道士と呼ばれる一人の男がいた。 彼の名は于吉。 ※正史に于吉は登場しないが他の書物に登場 ◆後漢後期 于吉が薬草をとりに山に入り、 曲陽の泉水のほとりにつくと、 白い絹に朱の罫を引かれた100巻余りの 神書『太平清領道』を発見した。 于吉は…

三国志CROSSがサービス終了・・・

サービス終了とのことで・・。 これに伴い大幅な記事の削除に追われています・・。 ※はてブロは記事に貼った画像は削除されても 表示されることがあるため。 ただの三国志サイトにします。。。

周泰列伝

◆史実 蒋欽と共に孫策に仕えた猛将。 蒋欽は孫策が袁術に仕えていたときからいるので 周泰も旗揚げ時にいたと思われ。 (某ゲームや演義系だと江東とってから仲間になったりする) 孫策が丹陽をとったあと 孫権がどうしても自分にほしいといって 孫権の直属…

司馬師列伝

◆三国志では司馬懿の子、司馬昭の兄として登場。 謀略家であり、 クーデターを起こして 瞬く間に魏の実権を奪う。 そして、やりたい放題やったところ、 皇帝が司馬師を除こうとしていることを知る。 キレた司馬師は逆に皇帝を廃位。 廃位まではうまくいった…

蒋欽列伝

史実でも演義でも蒋欽は弓で活躍する武将。 周泰と共に袁術にいるころから孫策に仕えた。 演義では指揮してないけど、史実では第二次濡須口の戦いにおいて 呂蒙が配備した強弩1万の一翼を指揮した。 尚、この戦いで某ゲームでは 魏軍が濡須口に堅固な陣を敷…

立花宗茂

◆史実 ◆西国一の猛将で合戦に強いだけでなく、 宗茂自身がとんでもない武芸の達人。 (剛勇鎮西一) 戸次家伝来の名刀・笈切り兼光を持ち馬上で敵兵七人を斬り伏せ、 横撃して来た有働下総守と一騎討ちして討ち取った。 朝鮮・明軍との戦いでは、 立花・高橋…

荀彧(じゅんいく)

◆史実の三国志では最高峰クラスの軍師。 しかも、三国志上最も仁と徳を備える人格者。 (某社ゲームを除く) 政務も大天才で曹操があらゆることを相談していたり、 人材抜擢能力も三国随一! (荀攸・鍾繇・戯志才・郭嘉・陳羣・司馬懿などなど) さらにさら…

華雄 

◆史実 董卓に仕えていた胡軫旗下の将軍。 胡軫と呂布の仲が悪く手柄を立てさせないために、 呂布が胡軫軍に誤情報を流したため軍が混乱し、 好機とみた孫堅軍の突撃を受けて、戦死した。 ◆演義 董卓軍の都督的立場で猛将として登場。 袁術が兵糧を送らなかっ…

大喬

◆史実 妹の小喬は周瑜の妾妻となり、自身は孫策の側室となる。 孫策は周瑜に、二喬は故郷を失ったが、 われわれを婿にできて幸せだろうと言った。 しかし・・ 孫策は婚姻後4カ月たたないうちに 死亡する。 ◆演義 小喬と合わせて江東の二喬と呼ばれ、 孫策・…

小喬

◆史実 周瑜の妻妾。姉の大喬は孫策の妾・側室。 孫策が二喬は故郷を失ったが われわれという婿を得たのだから満足だろうと言った。 ◆演義 姉と合わせて江東の二喬といわれ 呉における絶世の美人として登場。 二喬を娶ることができた孫策・周瑜は 何と幸せな…

法正 列伝

◆法正は、蜀を代表する策士・謀略家。 劉璋に見切りをつけ張松と共に曹操と敵対し劉備と結ぶように 仕向けた。劉備が龐統に説得されて蜀入りすると仕え、 劉璋が焦土作戦をとらないと見抜くなど策謀家として活躍。 馬超が劉備に降ったあと劉璋が降伏する礎と…

孫堅 列伝

孫策・孫堅・孫尚香の父。 若いころ、海賊の襲撃を発見すると 県の軍勢が向かってきているように見せかけ 海賊を撤退させた。 (演義では孫堅がとてつもない武勇で海賊を次々に斬り殺す) ◆私怨で荊州刺史を殺害し、さらに南陽太守も殺害。 反董卓連合に参加…

周瑜 列伝

三国志 周瑜 列伝 「三国志演義」 孫策と義兄弟。正史では、中国史に残る名将でありながら、 主として諸葛亮の引き立て役にされた挙句、 最後、重篤な状態で諸葛亮の挑発文を読み、 孔明は何もかも見通していた。と嘆息した後、 「天はこの周瑜を生みながら…

当サイトについて

当サイトは、中国史の三国志(演義・正史および関連する書物) を取り扱うサイトです。 正史に関しては、wikiや本・ゲームにおいて 正史では~と書かれているものを参考にして記載。 ただし、新歴史等によって当ブログの 間違いが確認できた場合、修正す…

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