◆頂角が教団を形成した当時
貴族や富豪の一部が農地までも支配していた。
農民は土地を借りて農耕したり、奴隷となったり、
故郷を出なければならなくなっていた。
不安を抱く官民の多くは、
「禍福は当人の行いにより、
長寿は善行のたまものである」
という太平道の教えに心の拠り所を求め信者となっていった。
◆8人の高弟
信者が増えると張角は弟子の中から8人を選び出し
すると張角の高弟たちは8つの州を拠点として
10年余りで数十万人の信者を集める。
張角は膨れ上がった教団を統治するため
36の「方」と呼ばれる集団に分け、
それぞれに渠帥と呼ばれる指導者を任命した。
◆反乱計画
圧倒的大多数の信者という力を得た
張角はクーデターを考え始め、
1万人の集団を「大方」、6000人の集団を「小方」
といったように教団を軍事組織化し始めると共に、
「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。
歳は甲子に在りて、天下大吉」
という言葉を流布して武装蜂起を呼びかけ、
役所門などに白土で「甲子」の二文字を書いてまわった。
そして、当時強い権力を持っていた宦官らを取り込み、
「184年3月5日に洛陽を襲撃し、
宦官らの内応により後漢を転覆させる」
という計画を立案し、実行に移すべく馬 元義を洛陽に潜伏させた。