ホントの三国志を考える試み。(正史重視)

三国志正史と史実に近い書を主軸に武将を見つめる試み

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2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

三国志17 賢者の識見

◆187年 涼州 涼州反乱軍は王国を盟主として、馬騰・韓遂が合流し 三輔地方へ侵攻をはじめた。 ◆188年11月 王国は、車騎将軍を自称し陳倉を包囲した。 朝廷は皇甫嵩を呼び出し、左将軍に任命。 董卓と各2万の兵を率いて敵を討てと命を下した。 ◆名将再び 董卓…

三国志16 後漢の忠臣

◆187年 涼州 張純が反乱を起こしたのと同じ187年、 涼州では、涼州刺史耿鄙が治中従事程球に政治を委ねていた。 ところが程球は、 職務を怠り賄賂がなければ全うに取り合いもせず、 おまけに氐や羌族について事実と異なる報告をした。 氐、羌族は怒り反乱を…

三国志15 張純の最後

◆188年 張温が率いる官軍本隊も 張純が起こした反乱軍の討伐に乗り出していたが、 平定することはできずにいた。 188年に入ると、後漢朝廷は、 後漢の東海恭王の末裔である劉虞を幽州の牧に任命した。 ◆徳が武を超える 劉虞は黄巾の乱以前から公平にして…

三国志14 張純の反乱

◆186年 張温が都に呼び出されていると、 反乱軍のリーダーであった辺章が病死した。 辺章が病死すると韓遂は北宮伯玉・李文侯を殺して、 十万余りの軍勢を統治下におき、 隴西を包囲して太守李相如を寝返らせた。 (董卓伝では辺章も韓遂が殺している) ◆白…

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