ホントの三国志を考える試み。(正史重視)

三国志正史と史実に近い書を主軸に武将を見つめる試み

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三国志正史ベース 208年赤壁の戦い(前編3)

翌朝、孫権は、軍備を整え

周瑜と程普を左右の都督に任命し

それぞれに兵1万を与え、

続いて総大将に周瑜を、

総参謀に魯粛を任命した。

 

 

程普は以前は周瑜を若いというだけで侮辱していたが、

周瑜は何事にも程普を立てつつ、常に下手な態度を取り続け

程普を徳によって心酔させた。

このように大才を持ちながら謙虚さを備える周瑜

呉将はみな心服していたので誰も異論を唱えなかった。

 

 

◆来訪者

 

あるとき、周瑜と同じ出身で

長江・淮水にあっては弁舌随一といわれる蒋幹という男が

粗末な格好をして軍営を訪れた。

 

周瑜は蒋幹が来たと聞くと曹操の頼みで来たことを察知して、

面と向かって曹操のためにわざわざ来たのですかと聞いた。

 

すると、蒋幹はしらを切ったので、あえて突っ込まず

自分には音楽を多少なり聞き分ける才があると言い食事に誘った。

 

周瑜は酒を何度飲んでも楽器の音色を間違ったやつがいれば

ピンポイントでそこを振り返ることができるほど

絶対的な音感を持っていた。

そのため、「音を間違えれば周郎が振り返る」というフレーズは

呉においては流行語となった。

 

 

食事の後、周瑜は軍務を理由に退出。

 

日を改めて蒋幹に軍営と

自分が受けた恩賞をみせてから宴席を開き、

 

「自分を理解してくれる主君にめぐりあい、

 肉親と同じ程の恩義を受け、計・論は採用され、

 幸禍を共にすることができるならば、

 たとえ張儀・酈 食其を持ってしても

 主を変えることはないでしょう。」

 

と述べた。

 

蒋幹は何も言うことができず、

何も得ることなく呉の軍営を去り、

中原に戻るとただ周瑜のことを讃えた。

 

※酈 食其(れきいき)は前漢の論客で弁舌一つで70城の王に

降伏を決意させた偉大な弁舌家。

 

※偽の蔡瑁の降伏書によって曹操の誅殺など存在しない。

史実では蔡瑁劉表荊州を抑えた際の功臣で

かつ、曹操の旧知であったともいわれ、

最終的に漢陽亭侯にまで昇進する。

 

※十万本の矢を孔明が用意?

そんなことがあろうはずがない。

 

甘寧をはじめ弓を得意としている将が多いだけでなく、

孫策は徐州・中原進出を伺って富国強兵を図っていた。

また呉将は古参でなくとも

山越をはじめ賊徒・異民族との実戦経験が豊かで、

戦場の場数をくぐっているので武器の大切さはよく分かっている。

 

また、南下前に人質の話がきて蹴っているのである。

そのときから軍備はある程度進めていなければおかしいし、

秦松・孫邵・張昭・張紘・諸葛瑾・顧雍らは

内政にかけては秀才である。

よって物資に不足があるということは到底考えられない。

 

 

 

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