ホントの三国志を考える試み。(正史重視)

三国志正史と史実に近い書を主軸に武将を見つめる試み

Example HTML page

三国志正史ベース 208年赤壁の戦い(前編2)

周瑜が呉に到着するとすぐに孫権は軍議を開いた。

 

大勢の呉の臣たちは、

 

曹操はケダモノとはいえ丞相であり、

事あるごとに朝廷の意向を使い、敵対すれば逆賊であり、

劉表の整備した蒙衝・闘艦数千を手に入れたいま

水陸から攻められるともはや呉に地の利はなく、

圧倒的戦力差を考えると降伏するほか道はない」

と述べた。

 

それに対し周瑜は、

声を大にして、

 

曹操とは漢に仇なす賊!」

「一方、我が君は父上様、兄上様の烈志の基として

 江東に立たれた大才でございます。」

 

「いま、呉は

 数千里に及ぶ肥沃した土地を領し、

 兵は歴戦の精鋭!

 英俊の士は集い、覚悟を決めております。

 今こそ漢に害なすものを除くときです!」

 

 

「まして曹操は自ら死ににきたようなもの」

 

「北は定まらず、西には馬超韓遂という

 大いなる憂いを抱えながら、

  中原の兵を船に乗せ

   呉越に戦いを挑むなど、

  すべて兵家の忌むべきところ

 でございます。」

 

「それに加え、

 馬のまぐさにも困るこの寒い時期に

 遠征の果に水郷地帯に来るなど、

 必ず疫病に悩まされることでしょう。」

 

「願わくば、兵3万をお与えくださり、

 夏口へ進めと君命あれば、

 必ずや曹操を打ち破って

 お目にかけます。」

 

 

これを聞くと、孫権は立ち上がり、

上奏文を上げる机を

一刀のもとに切り落とし、

「私が思うことと公瑾の述べたことに

 一つの違いもない。公瑾は天が

 私に授けてくださった者である。」

「これ以降、降伏を口にしたものは

 この机と同じ様になると思うように!」

 と大喝した。

 

 

◆孫劉同盟

一方、孫権諸葛亮ともあった。

諸葛亮は、孫権劉備はなぜ曹操と戦い続けるのか?

との問に、豫州(官位)は、漢の皇族の末裔であって

英才を備え、関・張をはじめ名将も集っています。

一時勝てなくともそれは天命というもので、

それだけで賊につくことができましょうか。といったあと、

連衝策を提示して孫劉同盟の締結に成功した。

 

 

◆開戦が決まった夜

 

周瑜は自ら孫権の宿営を訪れ、

面会が許されると孫権に言った。

諸葛亮にいわれて行ったわけではない)

 

曹操は誇大な手紙をよこしましたが、

いま分かっている事実を勘案しますと、

中原の曹軍は15万程度で疲労困憊、

下った劉表の兵は多くて7万。

袁家の兵も劉表の兵もいつ裏切るかわからぬ有り様です

もし、呉が兵5万を集められれば余裕を持って防ぎきれます。」

 

 

これを聞くと、孫権

 

「貴方と子敬(魯粛)だけは、

 私の期待に答えてくれる。

   あなた方はまさに天の助けだ」

 

  と感謝しつつ、

 

「5万はすぐに集められないが、

 すでに精鋭3万は選び出し、

 軍需物資・兵糧も十分に用意してある。」

 

「さらに、私自ら指揮して兵と補給物資を届けさせる。」

 

「程公・魯粛と共に兵を率いて劉備を助け、

   貴方の力で曹操と勝負をつけてほしい

 

「万が一、意図せぬことがあったら、

 そのときは私のもとに戻り、

 共に老いぼれと決着をつけよう。」

 

と述べた。 

 

 

<

スポンサーリンク