ホントの三国志を考える試み。(正史重視)

三国志正史と史実に近い書を主軸に武将を見つめる試み

三国志8 黄巾の乱(最後の戦い)

◆184年10月

冀州討伐を命ぜられた皇甫嵩であったが、

冀州の官軍は敗走により士気は落ち込んでおり

張角張梁の軍勢に苦戦を強いられていた。

 

しかし、事態は急変する。

 

乱開始より病気がちであった敵の筆頭

張角病死したのである。

 

張角の軍勢は張梁が引き継いだが士気の低下は避けられず、

反対に官軍の士気は一気に回復した。

 

この期を逃さず皇甫嵩は奇襲作戦を立案・実行し

広宗黄巾軍を見事大破、張梁を斬り殺し、

張角の遺体を晒し刑に処した。

 

一方、南陽で戦っていた朱儁もついに孫夏を破って

南陽黄巾を鎮圧した。

 

 

そして、皇甫嵩鉅鹿太守の郭典を引き連れ、

病身の張角に代わり多くの戦闘で実指揮を執っていた

敵の大将張宝曲陽で決戦。

 

 

皇甫嵩は大勝して張宝の首を挙げ、

黄巾の乱の主犯3兄弟の死亡により黄巾は崩壊をはじめ、

張角が蜂起した冀州黄巾は翌11月に鎮圧・平定された。

 

青州黄巾など呼応蜂起勢力はこの後も各地で暴れ続けた

 

 

 

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