◆184年10月
冀州の官軍は敗走により士気は落ち込んでおり
しかし、事態は急変する。
乱開始より病気がちであった敵の筆頭
張角が病死したのである。
反対に官軍の士気は一気に回復した。
この期を逃さず皇甫嵩は奇襲作戦を立案・実行し
広宗黄巾軍を見事大破、張梁を斬り殺し、
張角の遺体を晒し刑に処した。
南陽黄巾を鎮圧した。
そして、皇甫嵩は鉅鹿太守の郭典を引き連れ、
病身の張角に代わり多くの戦闘で実指揮を執っていた
敵の大将張宝と曲陽で決戦。
黄巾の乱の主犯3兄弟の死亡により黄巾は崩壊をはじめ、
※青州黄巾など呼応蜂起勢力はこの後も各地で暴れ続けた