ホントの三国志を考える試み。(正史重視)

三国志正史と史実に近い書を主軸に武将を見つめる試み

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三国志1 于吉

後漢の時代に道士と呼ばれる一人の男がいた。

 

彼の名は于吉。

※正史に于吉は登場しないが他の書物に登場

 

 

 

後漢後期

 

于吉が薬草をとりに山に入り、

曲陽の泉水のほとりにつくと

白い絹に朱の罫を引かれた100巻余りの

神書『太平清領道』を発見した。

 

 

于吉は五行の法に通じると、

呉・会稽一帯に教会を建て

香を焚き経典を読み、病人がいれば

薬草・符水を用いて治癒させ、

※于吉は徐州出身

 

人々のために気象を予測したり、

予言を行えばそれらは実際に起きた。

 

 

于吉の評判はたちまち広がり、

民衆はもとより支配階層からも広く尊崇を受け、

弟子入りを願うものも現れ始めた。

 

 

後漢8代皇帝「順帝」の時代

 

于吉の弟子である宮崇が『太平清領道』と于吉を教えを書した

太平清領書170巻を朝廷に献じようとしたが、

妖しげで妄言的な宗教であってこれは

経典とは呼べないとスルーされた。

 

後漢11代皇帝「桓帝」の時代

 

今度は于吉の孫弟子である襄楷が献じたが

同じようにスルーされた。

 

しかし、朝廷の意思とは相反するように

于吉の名声とこの書の評判は広まるばかりであった。

 

 

 ◆後漢12代皇帝「霊帝」の時代

 

張角という一人の男が『太平清領書』を教典として教団を創始し、

自らを大賢良師と称し、弟2人を大医と称させ

治療行為を行うとともに教団活動を始めた。

太平清領書をどっから入手したかは不明)

 

 

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