後漢の時代に道士と呼ばれる一人の男がいた。
彼の名は于吉。
※正史に于吉は登場しないが他の書物に登場
◆後漢後期
于吉が薬草をとりに山に入り、
曲陽の泉水のほとりにつくと、
白い絹に朱の罫を引かれた100巻余りの
神書『太平清領道』を発見した。
于吉は五行の法に通じると、
呉・会稽一帯に教会を建て
香を焚き経典を読み、病人がいれば
薬草・符水を用いて治癒させ、
※于吉は徐州出身
人々のために気象を予測したり、
予言を行えばそれらは実際に起きた。
于吉の評判はたちまち広がり、
民衆はもとより支配階層からも広く尊崇を受け、
弟子入りを願うものも現れ始めた。
◆後漢8代皇帝「順帝」の時代
于吉の弟子である宮崇が『太平清領道』と于吉を教えを書した
『太平清領書』170巻を朝廷に献じようとしたが、
妖しげで妄言的な宗教であってこれは
経典とは呼べないとスルーされた。
今度は于吉の孫弟子である襄楷が献じたが
同じようにスルーされた。
しかし、朝廷の意思とは相反するように
于吉の名声とこの書の評判は広まるばかりであった。
張角という一人の男が『太平清領書』を教典として教団を創始し、
自らを大賢良師と称し、弟2人を大医と称させ
治療行為を行うとともに教団活動を始めた。
(太平清領書をどっから入手したかは不明)