ホントの三国志を考える試み。(正史重視)

三国志正史と史実に近い書を主軸に武将を見つめる試み

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208年 赤壁の戦い

三国志正史ベース 208年赤壁の戦い(後編)

◆208年12月 曹操は劉備を討つため長江を南進し、 一方、周瑜も曹操を討つべく出陣した。 両軍は赤壁の地で遭遇したが、 曹操の軍勢は疫病に侵されており、 一度の激突で不利と見た曹軍は後退した。 曹操が長江の北で再展開した船団を見た 黄蓋は周瑜のもとへ…

三国志正史ベース 208年赤壁の戦い(前編3)

翌朝、孫権は、軍備を整え 周瑜と程普を左右の都督に任命し それぞれに兵1万を与え、 続いて総大将に周瑜を、 総参謀に魯粛を任命した。 程普は以前は周瑜を若いというだけで侮辱していたが、 周瑜は何事にも程普を立てつつ、常に下手な態度を取り続け 程普…

三国志正史ベース 208年赤壁の戦い(前編2)

◆周瑜が呉に到着するとすぐに孫権は軍議を開いた。 大勢の呉の臣たちは、 「曹操はケダモノとはいえ丞相であり、 事あるごとに朝廷の意向を使い、敵対すれば逆賊であり、 劉表の整備した蒙衝・闘艦数千を手に入れたいま 水陸から攻められるともはや呉に地の…

三国志正史をベースとした 208年 赤壁の戦い(前編1)

体調と仕事の都合で先に赤壁の戦い ◆208年 夏 劉表が病死すると魯粛は孫権に、 天下をとる第一歩は荊州を得ることであると説き、 自身を弔問の使者として、向かわせるように願い出た。 ・その際の魯粛の献策 劉表の2人の子は才が足りない上に仲が悪く派閥も…

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